【身だしなみを気にしてきた】
太平の世になり、人々が身だしなみに気をつかうようになってきた江戸時代に、行商入が売り歩いたり、参勤交代の江戸土産になるなどして、一房楊枝は各地に普及していったのである。今でいう虫歯や歯周病を予防する効果も期待されており、歯磨き剤にも工夫が凝らされていた。「研磨剤として砂をベースにしたもの、塩や生薬を使ったものなどが、よく利用されていたようです。房州砂と呼ばれる歯磨き剤には、竜脳という清涼感のある香料などが加えられ、生薬としては梅肉やマムシの黒焼き、茄子のへたが使われました」(西巻さん)しきていさんぱ江戸時代中期にもなると、式亭一二馬やじつぺんしやいつく十返舎一九などが歯磨き剤の引き札(チラシ)を作り、街頭では香具師が芸を披ろう露しながら販売したという。このように、歯磨き剤をめぐって宣伝合戦が繰り広げられたことからも、その浸透ぶりがうかがえる。女性たちはより美しくお歯だて黒をするために、男たちは白い歯で伊達男を気どるために、歯磨きを習慣としていたのである。さまざまなファッシヨンが楽しまれるようになった江戸時代中期、洗濯を専門と業者が現れて、特殊なシミを落とし、大切な衣服も丁寧に洗いあげるようにしたてた。初めは、着物の仕立屋や染め物屋が洗濯も請け負うようになり、それが、京都では享保六年(一七一六〜一二六)に、洗濯を専門とする「洗物屋」として独立したのである。また、染み抜きの方法は、元禄五年(一六九一一)に刊行された『女重宝記』でも取り上げられており、上流階級の女性たちのたしなみとされていたようである。